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斎藤の<国語の頭脳>教室


<中学受験の国語>とは?

 「国語ができない理由(わけ)」で、「受験における国語」の特殊性について簡略に述べた。国語ができない理由(わけ)!

 それでは、これからわたしたちが行おうとしている<中学受験のための国語>とは一体何なのだろう。

 常に、本文中において作者が意図すること、主張したいこと、考え、文脈に従って解答すれば糸も簡単に正解になってしまうではないか。それでは、ますます、生徒のオリジナリティ及び個性を伸ばすどころか、逆にその芽をはぐくまなければいけないのに、それを摘み取ってしまうことになる。平均的な画一化された考えを持つように指導されているといっても過言ではあるまい。

 これは非常に深刻な問題である。

 わたしたちは、皆、一人では生きることができない。
 だからこそ、社会的共同体を作るわけである。
 その共同体には、常にルールが必要である。
 所謂、価値観、モラル、道徳心、倫理観、簡単に言えば物事に対する善悪を共有することである。

 共有する、と言えば聞こえはよいかもしれないが、簡単に言ってしまえば、排除・疎外の構造、そのものである。
 考え、価値観の合わない人は、グループから敵視され出ていってくださいと言うことになるのである。どんなにすばらしい個性や思想、発想であってもそのグループを危機におとしめるようなことであれば、出ていってくださいと言われるのである。

 社会で例を出せば、精神病者は精神病院という場へと排除されグループから追放される。法律を守ることができなかった犯罪者は、空腹のためパン一切れをパン屋さんから無断で取ったとしても、それは餓死を免れるための行為ではなく、窃盗、盗み、すなわち、泥棒となり刑務所へ送られ、グループから出ていってくださいと言うことになる。

 恐ろしいことに、それらの価値基準の規範となるものは、「ことば」なのである。であるからして、社会的共同体は、ことばによって成立しているといっても過言ではないと思う。

 事実、そうしなければ、社会秩序は守られず、混乱に陥るであろう。

 共存のための手段として、最終的な選択肢なのかもしれない。

 ここで唯一、中学受験の国語を通して救われていることがある。

 作文、読書感想文、または、少し難しいかもしれないけれど、小論文である。

 そこでは、大人も子供も自由な発想のもとで独自の価値観、世界を構築することができるのである。

 想像の世界で自由に戯れ夢見、現実においてたくましく育っていくことができると思う。

 もっと、作文学習を大切してほしいと願うものである。


            juken_saito@cure.ocn.ne.jp
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